マイケル・レビン

少し前、オケの後輩と話していて、好きなバイオリニストの話になった。
ハイフェッツオイストラフとかは有名すぎるくらい有名で、その凄さは素人目にもわかる。でもそこから話が広がってゆかないのだ。例えばその話がハイフェッツについてならハイフェッツのことに終始している感がある。専門的なことは十分わからないが、その他の様々な演奏を聴いてどういう表現をしたくて、そのためにどういう技術やイメージを用いているか、どういうベースとなる考え方をもっているかをもっと勉強する必要が(お互いに)あると痛切に感じてしまった。幸いにして3・4年前までは書籍・ビデオ・CD・DVDというもので手に入れるしかなかったもの(特に映像)が、ここ2年ほどの、youtubeに代表される動画投稿サイトの発展で、いとも簡単に手に入れられるようになった。こんな映像が本当に残っていたのか、と思われるものも随分あった*1。百聞は一見にしかずというが、音作りまでは完全にわからないにしろ、その情報量の圧倒的な差から、その意味が分かるような気がした。
簡単にその情報が手に入るようになったなら、それを生かさないでいるのは勿体無い、ということで、しばらく僕が好きな演奏家を順にここで取り上げてゆこうと思う。
まず最初に、マイケル・レビンを取り上げる。最近一番聴いている演奏家である。映像は、ベル・テレフォン・アワーからだと思う。

右手の生み出す音質が、ピュアで本当に理想的。ボウイングの形も現代に近いものであると思われ、一つの頂点に近い形だろう。あと腕のビブラートをここまでにコントロールした演奏を見たことが無い。意識の配分の仕方をどうこう言うよりも、この映像を見る限り、集中力が半端ないほど発揮されていて、Kreisler:Caprice Viennois, Op.2とKreisler:Tambourine Chinoisを本当に完璧な完成度で弾いている。
Youtubeにあるものでは、あとはDinicu:Hora staccatoがすごい。これはハイフェッツの演奏が非常に有名で、映像としても*2沢山残っているけれど、それを超えてしまっているのではないかと個人的に思っている。一弓スタッカートの音の粒までコントロールされているのがわかる。

この人のPaganini:24 Capricesやその他の録音を聞くために、1月に全集を買ってしまった。この値段にしては聴いてみて大変お得な全集だった。Amazonにはもう掲載されておらず、廃盤である。本当にぎりぎりセーフ、ラッキーだった。昨日今日と部屋でずっと聴いている。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=61101
以下、wikipediaより転載

マイケル・レービン(Michael Rabin, 1936年5月2日 - 1972年1月19日)はアメリカのヴァイオリニスト。日本では一般にマイケル・レビンとして知られる。
父親はニューヨーク・フィルハーモニックの第一ヴァイオリン奏者で、母親はジュリアード音楽学校のピアノ教師をつとめる、音楽家の家庭に生まれた。いわゆる音楽的神童として少年時代をすごし、最初は母親にピアノの手ほどきを受けたが、程なくしてヴァイオリンに興味を示し、父親からヴァイオリンの手ほどきを受ける。
9歳からジュリアード音楽学校でイワン・ガラミアン(アイヴァン・ガラミアン)に師事した。早くもこの年齢でリサイタルを開いてデビューし、12歳でパガニーニの≪無伴奏ヴァイオリンのためのカプリース≫を録音した。1950年には、ディミトリ・ミトロプーロス指揮のニューヨーク・フィルハーモニックと共演し、パガニーニの≪ヴァイオリン協奏曲 第1番≫を演奏して、カーネギー・ホール・デビューで大成功を収めた。1951年にはテレビ番組にも華々しく登場、1952年には豪州に楽旅を行う。欧州へは、1954年より演奏旅行と録音のためにたびたび訪れるようになる。
しかし1960年代初頭には、過密なスケジュールのために心身に消耗をきたしており、無気力や病気に悩まされるようになる。また、神童型の芸術家に間々あるように精神的に脆く、そのため演奏家として続けていくためにドラッグにも手を出し、確証はないもののほとんど中毒だったと言われている。1972年に自宅で転倒した際、頭部を強打したためニューヨークの自宅で急死した。周囲の証言によると、薬物依存を脱した後の不幸な事件であったという。
レービンは、「Cry now. Play later.(今泣いておけば後で弾けるようになる)」が口癖の、鬼教師として知られるガラミアンによって、「瑕疵のない、生まれついての完璧なヴァイオリニスト」と認められた、ただひとりの門人であった。レービンは生まれつき左手*3の弓さばきがよどみなく、そこにガラミアンの教授法による、リュシアン・カペー譲りの近代的なボウイングが加わり、音色に力強さと輝かしさを習得した。その完成された演奏技巧は、1958年にステレオ録音されたパガニーニの≪24のカプリース≫全曲にもうかがわれる。
レービンはハイフェッツを崇拝し、その後継者たらんと自ら望んだだけでなく、レービンの才能を認めた数々の巨匠からも、ハイフェッツの再来と見なされていた。しかしながら早熟の天才として国際的なキャリアが始まるや否や伸び悩むようになって挫折し、周囲から望まれたような大器として円熟するには至らなかった。

*1:まあ不勉強だった訳である。

*2:映画「カーネギーホール」など

*3:「右手」の間違いだと思われる。