長年の疑問に終止符?(本紹介)

中学校の時に国語科の先生が毎月発行していた国語プリント(種田山頭火とか毎回俳人、詩人特集があったし、定期テストで何問かその内容から出題された。)に、国語の疑問について取り上げますいうコーナーがあった。そこで僕はこういう疑問を取り上げてくれとリクエストした。それは、送り仮名についてであって、「みじかい」を書く上で「短い」が正しいのか「短かい」が正しいのかというものだった。結局その疑問には答えることができなかったのか、そのまま卒業となってしまった*1
今日たまたまこの前から読みかけだった、

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

を今日読みきったのだが、その中に答えめいたものがあったので本文を引用する。

――ここに新たなる難問題が発生するのでありますが、その第一は送り仮名であります。
もし、芥川氏の説のごとく全部に振り仮名を施しましたら、送り仮名は国文欧で定められた仮名遣いの規則に従い、動詞形容詞副詞等には語尾の変化する部分にのみ付け加え、語尾の変化しない名詞等には全然付け加えずともよいわけであります。が、振り仮名を配した場合には、文法のみに頼るわけにも行かない事情が起こってまいります。例えば、「コマカイ」と言う字は、
  細い
と書くのが正しいのでありましょう。しかしそう書けば「ホソイ」と読まれる恐れがありますから、それを防ぐためには、
  細かい
と書かなければなりません。しかしそうすると、それと統一を保つために「短い」「柔い」の如きにも「短かい」「柔かい」と書くべきである、と、そう考えるのが自然であります。また、「クルシイ」という文字は、
  苦い
と書くべきでありましょうが、「ニガイ」と読まれるのを防ぐためには、
  苦しい
と書かねばならぬ。「酷い」も「ヒドイ」と読まれるのを防ぐためには、
  酷ごい
と書く。「賢い」も「サカシイ」と読まれまいためには、
  賢こい
と書く、するとまた、これらの形容詞と類似の語根を持つ形容詞には、同じように送り仮名をしなければ不揃いになる。ですが、それなら総べての形容詞をそう云う風に「長がい」「清よい」「明るい」と書いても差し支えないことになり、結局書く人の気分本意になるのであります。
動詞とても同様でありまして、「アラワス」と云う字は「現す」が正しいのかも知れませんが、仮に、
  観音様がお姿を現して
と云う句があったとして、この「現して」を「アラワシテ」と読む人と、「ゲンジテ」と読む人がありましょう。さればそれを防ぐためには、「現わして」と書く。また、「アワヲクラッテ」と云う文句を、
  泡を食って
と書き表したならば、「アワヲクッテ」と読む人が多いでありましょう。ですからこれも
  泡を食らって
と書く。そうすれば、「働らいて」「眠むって」「勤とめて」と云う風な送り仮名も成り立つことになり、これらも銘々勝手次第になってしまいます。
かくの如く語根の音を送り仮名として附け加える必要のある場合は、動詞形容詞に限ったことではありません。名詞においてもしばしば起こり得るのであります。私は「誤」と云う字を「アヤマチ」と読む人がいるのを恐れて「誤り」と書くようにしておりましたが、やがて多くの動詞形の名詞にも送り仮名をする癖がついてしまいました。また、「後」と云う字は、「ノチ」とも「アト」とも「ウシロ」とも読まれますので、「ウシロ」と読んで貰いたい時には、今でも「後ろ」と書くのが常であります。また「先」と云う字を「セン」と読まないで「サキ」と読んで貰いたいために「先き」と書き、「サッキ」と読んで貰いたいために「先ッき」もしくは「先っき」と書いたりしましたが、これはあまりに滑稽なので、近頃は仮名で書くことに改めております。しかしながら、これに似たような滑稽事は日常に雑誌新聞紙上に頻々と見受けられるのでありまして、そのもっとも極端な例は、
  少くない
と書いて、これに、
  少(すくな)くない
とルビを振らずに
  少(す)くない
と振る人がある。ご丁重に仮名を振ってかような誤りを犯すにいたっては、物笑いの種でありますけれども、上述の事情を思い合わせますと、一概に笑うわけにも行かないのであります。
私は今、さしあたり心づいたほんの二三の不都合な点を数えただけではありますが、もし現代の口語文における送り仮名の乱脈と不統一を調べだしましたら、際限もないことでありましょう。去ればさすがに芥川氏の総ルビ説の卓見であったことを感じるのでありますが、なおこの問題に、漢字の宛て方の問題が絡んでまいりますと、一層煩わしくなるのでございます。――

賛否両論があるだろうが、一定の答えを見出せる結論だろう。
これは読んでいて面白かったし、大変ためになった。文系だけでなく是非とも理系も読むべきだろう。実際、日本語作文能力は(僕も含めて)相対的にかつてよりも低下しているはずだから*2、それを磨くことも外国語を磨くこと以上に重要かもしれない。

*1:答えることができなかった質問ということで一応最終号には載った

*2:このブログも悪文と言えば悪文か