個人分奏

個人分奏も、もう”される側”ではなくて、完全に”する側”になってしまった。
そういう感慨というか、一種の変な満足感といったものは、僕にはとても持てない。そんなに偉そうなことが言える様な立場ではないし、結果として人を遠ざけるだけだ。
昨日の3時過ぎから6時過ぎまで、今日の降り番での2時間と、別々の2人をみた。やっぱり説明するのは、なかなか骨が折れる作業なことが分かった。とはいえ、基本の部分を見たので、どれも疎かには出来ない事ばかり。
おそらく、2人とも、見た前後で、音の大きさ・太さは少なくとも当初の2倍以上にはなったはずだ。
ああしろこうしろ、これはいけないあれはいけない、と単純に指摘することは容易いし、誰にだって出来る。ただし、できるだけ背景を知って、その時期に適切なアドバイスをしてベクトルを正しい方向に向けて、絶対値を大きくしてやる事がどんなに頭を使って、エネルギーを必要とすることか*1。個人分奏をうるさい降り番部屋でしていたら、さすがに声が嗄れた。
普段のさらい方について、基本的に僕は特に何も口を出さない事にしている。放任主義である。学館であれ、降り番部屋であれ、どんな形であっても別にそれが自分のスタイルを形作るわけだから。
しかし、この前からかなり迷っている。
複数のVa人、Vc人からかなりのダメだしをくらっているのである。
音が汚い、刻みがきちっと出来ない、基本的な音作りをちゃんとしているのか、音程が合わなさ過ぎる、周りが見えていない、オケにソリストは要らない、等々。
僕が見ていても、2年前と比べ、曲自体を熱心にさらっている人*2が増えてしまったのかなと思う。
そして数日前、ある人に言われてしまった。「それに気付いていて、何も言わないのは○っくんの無責任だ。放任主義というが、それは単に逃げてるだけじゃないのか。」
何も反論できなかった。
少なくとも、僕が個人分奏を持って、それに時間を割いてくれる人にはそれを伝えるつもりだ。
すまぬ。

*1:これを「伝える」ことがどの分野であれ、難しい。

*2:勿論これは反語というものであります。