いろいろな人と話す日(とちょっとした考察)

今日はいろいろな人と話した。と云うと当然のような気がするが、大学に行って言葉を交わす人は案外限られているような気がする。実際統計を取ってみたわけではないが、オケの分奏や全奏を除いた学校生活で少ない時は10人ゆかないのではないか。
今日は授業の合間合間や、移動時間に、(勿論練習時間にも)少しずつでも言葉を交わしたから、総勢30人を超えるくらいにはなるだろうか。やはり内定が決まったK学科の顔なじみが増えて来たからかも知れない。
更に今日はMIXIに加えてGREEからもお誘いを受けてしまった*1ため、こうした媒体を通して会う人の数は更に拡大していることになる。
そうすると必然的に、僕の発信している(話をしている)内容が、僕の意図とはまた異なった形で受け取られる率も高くなる。
こちらの方向に話が進んでしまうのは、(ピンと来た方も多いかもしれないが、)このブログが(特にオケ内で)吹きおこった山風*2の大きさを感じてしまったからである。
相手との共通認識が図れている部分が大きければ大きいほど、ツーカーで、少ない言葉で意思を疎通することは可能になる。僕はその拡大努力をこれまで充々してきているつもりだが、それには必ず限界があって、時間、場所の制約がどうしても生じてしまう。
しかし、ほぼツーカーで意思を伝達できるコミュニティーの構成者は、どんなに多く見積もっても10人までだし、今日の生活を見ても分かるとおり、実際はそれ以上の人と接しなければならない。
やはり、充分に説明的な言葉や、媒体を利用しなければ、どうしようもない。
こんな事を書いていると、「本質的な言葉を、face to faceのコミュニケーションを大切にしよう」と言い出す人がいるかもしれないが、どこまでが本質的で、どこからがface to faceなのか掘り下げてみたら、結局果てのない堂々巡りになってしまうから、結局意味がない。
この話には結論がないなぁ。二十億年の孤独を、一つのくしゃみで解決できる*3くらいでなきゃ、やっぱりダメなのかもしれない。

*1:K学科の人が多い

*2:むべ山風を…。

*3:本紹介 - 蒐羅の門参照。