俺は何やってるんだ

夫大道不稱,大辯不言,大仁不仁,大廉不嗛,大勇不忮,道昭而不道,言辯而不及,仁常而不周,廉芿而不信,勇忮而不成,五者园而幾向方矣,故知止其所不知,至矣,孰知不言之辯不道之道,若有能知,此之謂天府,注焉而不滿,酌焉而不竭,而不知其所由來,此之謂葆光。(荘子 斉物論編より)

この「葆光」の境地を求めて自分なりにいろいろとやってはみているものの,まだ無理だな。一生かかる。こういうことを考えているからダメなのかもしれない。
<後日書き加え>
読んでいる人から,「白文が読めない」との声があったので,書き下しを書いておく。

夫れ大道は稱(ショウ)せず,大辯(ベン)は言わず,大仁は不仁にして,大廉は嗛*1ならず,大勇は忮(サカラ)わず。道は昭(アキラ)かなれば而(スナワ)ち道ならず,言は辯(ベン)ずれば而(スナワ)ち及ばず,仁は常なれば而(スナワ)ち周(アマネ)からず,廉は芿(セイ*2)なれば而(スナワ)ち信ならず,勇は忮(サカラ)えば而(スナワ)ち成らず,五者は园(ガン*3)なるに而(シカ)も方に向かうに幾(チカ)し。故に知は其の所を知らざる所に止まれば,至れり。孰れか不言の辯,不道の道を知らん。若し能く知ること有れば,此れをこれ天府*4と謂わん。注(ソソ)げども滿たさず,酌(ク)めども竭(ツ)きず,而(シカ)も其の由りて來たる所を知らず,此れをこれ葆光(ホコウ*5)と謂う。

*1:謙譲の意。

*2:清廉の意。

*3:「园」は解釈が難しいが,「円」の意。

*4:大自然の宝庫の意。

*5:「葆光」を解するに,「保」と同意であるので,表にキラキラと出る光ではなく,内部にこもった本質的な輝きのことと解釈するのが恐らく自然だろう。