インターナショナルという言葉の再定義

この前の12月10日のお話の続きで,正月にうちの兄とこたつの中でしゃべった内容。
ちょっと脇道にそれてしまう話になるけれど,これからは5年くらい後には,「インターナショナル」という言葉をどのように受け止めるか,そして言葉での捉え方を変えて、再定義するかが重要になるように思う。
僕自身の考えは,ちょっと飛躍しているかもしれないが,これまでは歴史的背景をひきずって,「インターナショナル」な話題について,具体的には「左翼⇔右翼」というくくりや,「社会主義⇔ 資本主義」というくくりで議論がなされてきた。けれど今の僕の感覚では,これらのくくりでは単純に捉えられない時代になってきたと思う。
上の対立構造に基づいた議論に替わって,「グローバリズムローカリズム(国際的にはリージョナリズムという語が使われる)」のくくりで「インターナショナル」な世の中を捉え,議論することが,5年くらい後には当然のことになるだろうと僕は思っている。
こちらの方がより適切に上記の対立する言葉全体の思想を包含して,現在の状況を捉えられるように思うが,どうだろうか?