時間はつくるもの

時間はつくるものと題名に書いたが,なかなかしんどい状況が続いている。商売繁盛はありがたいが,1月末まであんまり休みがないなぁ。お医者やっている人より若干ましかな,という程度。
薄田泣菫以降,活字を読んでいる気がしない。通勤電車の日経を読むくらいで,終わってしまっているのがよろしくない。日経のコラムの文章の切れ味がどうも今一つ煮えきらなくて,歌壇・俳壇の横の瀬戸内寂聴さんのコラム終了が痛かった。
歌壇・俳壇は時々見ていて感心させられる。
母親が短歌をやっていたためか,中学のころなど推敲の場面に口をはさむ機会が多かった。
最初のころの発想をどうまとめるか,横で見ていると感覚でまとめてしまう方なので,あちこちつついているうちに体をなさなくなってくることが多い。
言葉の長さが制限されているから,言葉と言葉の間の流れというものが,どういう色彩を帯びるのかが,やはり当初のイメージとずれてしまうのだと思う。比較的言葉の感覚は近いものがあると思うので,そのニュアンスがずれるのがわかってしまうのだ。
どうしてこの句が選ばれたのかわからない句も載っているが,たまにおっと思う感覚の新しいもの,とらえ方の巧みなものに出くわして面白い。

相変わらずSandelも吟味して読んでいるが,ちょうど半分過ぎたところである。

Justice: A Reader

Justice: A Reader

読んでいて脱線が多いのである。まあ文系については不勉強な部分が多くて,どういうことか自分の納得できるところまで理解しようと思うと,あちらに脱線,こちらに脱線と,あまり褒められたものではないために,よけいに読むものが増えてゆく。
予備校時代に資本論を読んだときの方が楽だったなぁと思う。