これから

選択を迫られている。
病院に行って検査を受けたら、予想通りといっては何だが数値が良くない。今月の体調の悪さはよく分かっている。朝の調子が悪いというのは、僕にとってはイレギュラーな事で、これが10月はずっと続いてしまった。2月の破綻もこんな綻びから生じてしまったことを考えると、恐ろしい事である。
生活一般を見直さなければならないとはいっても、もう、見直すところとしたら限られている。

  • 学科が忙しい。

学科が忙しいのはみんなであって、僕一人だけではない。僕も最近は「もう無理だ」と感じたら午前中の授業の間は家で寝て、午後の実験は最低限出るということにしているが、実験の集中力まで最近は維持できなくなり始めている。これはなんとしても避けたい。
学科を言い訳にはできないし、将来はこれに関連した事でご飯を食べてゆく事になるわけだから、これを疎かにして時間を捻出するわけにはいかない。

  • 健康面

冷静に考えてみると、僕の4・5・6・7・9・10月の生活を続けていたら、この間の病院での数値を基に算出してみたところ、30代前半で更なる症状が出る可能性が50%近く、このままの生活でゆくと標準では40代半ばで寿命が尽きる計算となる。これは誇張でもなんでもない確率的な事実である。
このままの生活を続けていれば、という話であるが、僕はもうこの状態を2年近く続けてきてしまった。正直言って、体だけの問題かと思っていたら、今年の2月にはそれ以外のところまで飛び火して、とんでもないことになってしまった。*1幸い、すぐに全快したものの、このままの負担をかけ続けることは無理である。
せめて60代半ば以上まで更なる症状が出るのを抑えて、というのが理想である。そうしないとマズイ。
そのためには、
・自分で健康面のサポート(時間的・精神的余裕がどうしても必要)をする。
・誰かさん?に健康面のサポートを任せる。
の二者択一である。まあ現実的には前者だろう。

  • オケが忙しい

週何時間費やしている?
将来的にこれでご飯を食べるわけではない。
「長期的に楽しめて初めて価値が出る」という位置づけ。
下手の横好きと言われればそれまで。でも、好きなのでかなりの時間を割いてしまっている。(週当たり12時間以上)

  • 切り替えが下手すぎる

不器用すぎる。しかも、結果の手抜きは上手いくせに、過程の手抜きが下手くそである。

  • 変に多趣味すぎる

逆にこれを武器にしようと考えた時期もあった。大学に入った当初、去年まではそうだった。
今年になって、それは現在において(アリストテレスの時代はそれが可能だったにせよ)無理だし、僕はとてもその器ではないと悟った。
実際、大学に入って手をつけたことは以下の通り、
絵画(主に現代)、アニメ手法(現在のセルアニメ、日本の初期(戦前)セルアニメ)、浮世絵(系統だったものではない。特に北斎漫画、 曾我蕭白)、絵コンテ(映画中心)、映画表現技法(特撮、カメラワーク)、日本映画研究(まだかじりかけ、溝口健二小津安二郎黒沢明)、考古学(先史)、日本史研究(主に戦国・幕末人物像中心)、古典(今昔物語・義経記源氏物語など古文で)、伝奇物の研究(高校時代に読んだ今昔・宇治拾遺の原文読み直し、聊斎志異、古鏡記など漢文で)、芥川龍之介研究(全集・書簡分析)、吉行淳之介研究、向田邦子研究、白州次郎研究、松田優作研究、ヨゼフ・シゲティ研究(まだかじりかけ)、民俗学(高校時代からずっと、民間信仰など)…あと、バイオリン(オーケストラ)か。
ここで忘れてならないのは、僕が今専門としているのは化学だということ。
これに振り分けている時間と情熱を一つのことにぶつけれれば、どんなに楽だったろう。でも、これらを自分でやっていて、不思議と面倒だとか嫌な気持ちにはならなかった。寧ろ面白かったし、それの時間が逆に専門によって取られてしまうことの方を苦痛に感じたりもした。
でも、これでご飯は食べれない。

以上を考え合わせて見ると、真っ先に削るべきなのが、・自分なりの研究、そして、・オケの時間。
自分なりの研究は最近行っていないから、現在削るべきはオケの時間しかない。*2勿論、学科とオケを両立させている人もいるが、それはほんの一握りの人であって、一人暮らしかそうでないかの違いがある、僕にはその人程の頭の処理能力が無い、ということは明らかなので、そこまでの要求には応じられない。
全てするなんて、そんな超人的なことは無茶だ。無茶と知りつつも、やってみたいという抑えきれない衝動からこの2年半突っ走ってきた。でも、もう限界が見えてしまった。捨てる勇気を持ちたい、でも変に不器用?ゆえにそれを捨てられなかった。
そのために、高校時代までは全く起こさなかった多くの破綻(健康面含む)、人の信義を裏切る事、人を傷つける事を繰り返してきてしまった。これは、多分僕に少しの余裕があれば防げただろう。
その余裕を、取り戻さなければならない時が、多分今なんだと思う。
器用貧乏、虻蜂取らずが怖い。自分のやり方や感性を変えてしまうのがもっと怖い。それに人を巻き込んでしまいそうなのがもっともっと怖い。
ワカラナイ。

*1:「健全な体には健全な精神が宿る」のである。

*2:来年のサマコンの不参加の可能性についてはパトリにはもう話してある。