岡山帰郷1

前日、レッスンから帰宅したら、もう12時を回っていた。
結局、家で2時間寝て3時起床。
荷造り、片付け、前回までの資料確認をしていたら、矢のように時間は過ぎ、5時を過ぎてしまった。東京駅の新幹線の始発は6時だから、もう出発しなければ交渉に間に合わない。冬物の残りを宅配便で送るために、4時過ぎにコンビニまで往復。
今回はPTA会長、役員、校長先生も交えてお話しなければならないので、資料もきちんと打っておきたかったのだが、そんな時間はない。
始発に飛び乗り、車内で清書、着いたら岡山駅コンビニでコピー、という作戦に切り替えた。
始発になんとか間に合い、ぼんやりとした頭のままに、いつも通りにCDwalkmanで音楽を掛けて、何とか意識レベルを保つ。3週間休みが無い(土日の方が平日より忙しい)状態が続いていて、しかも五月祭の疲れもまだ蓄積しているから、限界に近い*1事は分かっているが、これを投げ出すわけにはいかない。名古屋を過ぎて、ようやく資料の清書が終わった。それからは、意識レベルが低下。九州まで行く事は避けたいので、携帯のバイブレーションをセットしておいた。
新神戸の手前でふと目覚め、それから岡山までは、うとうと状態。
岡山駅でコピー完了して、迎えに来てもらっていた車に乗る。岡山の日差しは東京のそれとは違い、既に気温も28度あった。「長袖なんて暑苦しい格好して。」と母親が言ったが、朝の東京の気温は16度前後だったはず…。
実家で少し一服してから、学校まで自転車で移動。話し合いは11時開始の約束だった。
実際資料は5部用意していたのだが、実際もっと多くの人の前で喋らなければならなかった。
とにかく、音楽教室の共通したイメージビジョンがここにいる全員で共有出来なければならない。延々2時間説明。最初は硬かったけれど、最後には質問に答えていく形で何とか伝えられたと思う。
さらに、もう一度開場の広さ、控え室候補の部屋なども回って、さらに色々話をして、終わったのがようやく2時過ぎ。リードして、喋りっぱなし3時間は辛い。
その後、担当してくれている元僕の担任の先生と、昼食に行く。五月祭、当時のクラスのメンツの近況などの話で盛り上がる。
3時半に実家に帰宅。帰ってみたら、兄が勤めを何とか早めに切り上げて帰ってきていたため、天満屋・表町近辺を出歩く事にした。少しの間でも体を横にすると、二度と立ちたくなくなりそうだったので、早々に出かけた。
ラルフローレンに目当ての服は無かった(サイズ違いしか残ってなかった)し、TOMMYもセールしていなかったので、天満屋は早々に切り上げた。ただ、東京よりも岡山の方が、好きな感じの服は充実していると思うので、若干心残りではあった。表町のドラッグストアで中学卒業以来の友人に会った後、本屋+CD屋に行った。兄は始めての給料が出ていたので、僕の欲しい本+CD(総額1万円)ほどを買ってくれた*2
それから少々高めの地ビールを買って6時に帰宅。
それからようやくゆっくりと過ごせた。

*1:理化け風に言えば、”恒量”に近い。

*2:「珍しい事もあるものだ。」と書いたら怒るでしょうね。ありがとう。