帰省前に

自由が丘までレッスンに行った。
実験が終わって、駒場に寄って、7時から。
実際はさらう時間が無くて、少しでも音だししてから行こうと思ったのだが、結局10分位しか無理だった。あせると駄目だ。授業が始まってから3〜4時間の睡眠でいっぱいいっぱいで、さらう時間をうまくひねり出せないでいる。はっきりいって室内楽の個人での練習時間もない。
それでも、仕方なく行く。とにかく楽譜を電車の中で眺めて、音と弓のイメージを少なくとも頭の中で作りながら。
ほとんど練習できなかったに関わらず、健闘した方だと思う。
右手は大分いい方向に向っていると珍しく誉められた。
僕がその日の最後のレッスンだったらしく、レッスンの後、「みんな忙しいみたいだね。」という話になる。僕は「新歓時期は、どうしてもみんな忙しいのは分かりきってるけど、僕個人に関しては今年、忙しくなれたことが嬉しい。」趣旨のことを言ったら、少し笑われた。
「最初来た頃と比べたら、大分変わってるよ。まあ、これからも変わっていくだろうけど。」
最近、要求基準が厳しくなってきたレッスンの終わりに言われていること。
こう言われるにつけ、そこまでの才能も無いし、切れ者でもない自分が唯一売りにできるのは、何だかんだ言って「粘り」でしかないのかなぁ、と思う。何に関しても「才能がない」と思って、「もうやめた!」と投げやりになりそうな時、何日も悩んでから結局頭をよぎるのは、「続けるのも才能」という言葉であって、これまでのところ、これがいい意味での開き直りを生んでいるのかと思う。だからどうした、と言われればそれまでだけれど。