クリスマス談義

クリスマスの起源がどうとか、サンタの服装の起源とか、諸説入り乱れていて本当のところは僕にはよく分からない。
更に、日本のクリスマスということになると、余計何が何やら分からなくなる。少し前の日記に書いた「21世紀こども百科」の「クリスマス」の項のページが第2版から削除されたことからも示される*1ように、特に日本ではハッキリとした(学術的なアプローチである程度網羅できるような)ものではないとまずいのだろう。
「お正月」という見出しはこの本にまだ存在しているが、これは民俗学的アプローチから全体が網羅できるように書かれている。宗教を基本的に学校には持ち込まないスタンスを維持するには、この民俗的アプローチでしか書けないのだろう。そういう意味で本来の意味のクリスマスは、日本では完全に消化しきれていないと考えられる。
では、本当に「消化しきれていない」のだろうか?
日本の一般的クリスマスの歴史を紐解いてみると…。
日本の一般家庭におけるクリスマスの普及は、日本の高度成長期に重なる。

高度経済成長期を迎えた1950年代には、繁華街で会社員たちがお酒を飲んで盛り上がる姿がよく見られ、あわよくば帰り道に当時貴重品のケーキをぶら下げて家路についた。これが1960年代に入ると、住宅事情の改善などにより日本のクリスマスが家庭中心となり、家族みんなでケーキやローストチキンを食べるようになり、子供へのプレゼントも一般化した。1980年代後半からのバブル経済期には、若者を中心に恋人たちのイベントとして盛り上がり、仲間同士のプレゼント交換などが一般化した。

ざっとこんなところだろうか。
しかし、日本で現在のようなクリスマスが、本来の意味の消化をせずに(クリスチャンは除いたとして)何故定着したのか?そしてその意義は?という疑問が残る。

新たな「ネ申」が日本にやってきたというのが、一つの考え方かなと思う。

室町時代、宣教師フランシスコ・サビエルは来日するにあたり、日本人のヤジロウとの問答を通してキリスト教の「神」を日本語に訳す場合、大日如来に由来する「大日」(だいにち)を用いるのがふさわしいと考えた。しかし、これはヤジローの仏教理解の未熟さによるもので、後に「大日」という語を用いる弊害のほうが大きいことに気づかされることになった。1549年に来日したザビエルたちが、「大日を拝みなさい」と呼びかけると僧侶たちは仏教の一派だと思い、歓迎したといわれている。
やがてザビエルはキリスト教の「神」をあらわすのに「大日」という言葉を使うのはふさわしくないことに気づき、ラテン語デウスをそのまま用いることにした。「大日を拝んではなりません。デウスを拝みなさい」とザビエルたちが急に言い出したため、僧侶たちも驚いたという。キリシタンの時代、デウスはダイウスともいわれていたため、キリスト教の反対者たちは「彼らが拝んでいるのは大きな臼(大臼)である」といって誹謗したという話が残っている。
その後、宣教師たちや日本人キリスト教徒たちの研究によって「デウス」の訳語としていくつかのものが考えられた。それらは「天帝」「天主」「天道」などであり、「デウス」と併用して用いられた。彼らは「神」という言葉は日本の多神教的神を表すもので、自然や動物、人間にすら当てはめられる言葉なのでデウスの訳語にふさわしくないと考えていた。キリスト教の神に「神」の訳語があてられるようになったのは明治以降のことである。

要は、一神教の神か多神教の神か、どちらを日本人は感覚的に受け入れるのか、である。僕は歴史的に見て、やはり後者として受け入れたのだと思う。多神教において、一つの神様が増えることはそう大変な事ではない、「八百万」分の1が増えたに過ぎないわけだから、当然といえば当然だろう。
クリスチャンの方が見れば怒るかもしれないが、日本の一般的なクリスマスは、言わば、「サンタさん」を御神体とした「商売繁盛」「家内安全」「子孫繁栄?」を祈り、実践する?ハレの日、つまりお祭りであって、御神輿がツリー、祭り寿司や赤飯がケーキやローストチキン、お囃子が山下達郎ユーミンであったりするだけなのだろう。これはあくまで感覚的なものだから、異論も多いだろうけれど、実際高度成長期に失われつつあった地域共同体での祭を、都市部からそれとはまた異なる社会共同体の形で補完したのが、クリスマスだったのではないかという気がする。そういう意味で、ほかのハロウィーンイースターよりも要素がそろっており、日本人にはしっくりと来て、このような形で未消化ながら定着しているのではないだろうか。
こういう考え方をすると、日本のクリスマスは未消化で本来のものから外れており、「商業主義だ」とか「不謹慎だ」とか言う批判を少しかわせるし、今日本でこういう形で存在する意義を見出せるように思う。
どうでしょうか。

*1:内容を覚えている限りでは、日本の一般家庭での、子供たちに関係がある範囲のクリスマスが紹介されていた。恐らく、1版の出た後に様々な方面からの指摘が相次ぎ、収拾がつかなくなったので、項目削除となったのだろう。