3日目の夜から駒祭終了朝にかけて

全体レセプションは、張り詰めていた気が緩んでしまって、少し腑抜けのようになっていた。隣に座っていたヤックンには非常に気を遣わせてしまった。
1年前の「今年よりいい演奏会にします。」と云うしゅ君のコメントは、まだ記憶に鮮やかに残っていて、少しお神酒が回ってぼんやりしているせいかもしれないが、今日の姿に重なって見えた。考えてみれば、一年というのは相当に長い(少なくとも、この半年ほどは駒祭にかかりきりになる訳だから余計に)はずで、今から考えるとなかなか思い切った発言をしたものだなあと思う。実際この前、ある先輩とこの話になって、「あの発言の後、彼もずいぶん成長したよね。」と言われた。確かに、言われてみればそうだ。その場の空気を作れるようになった、とでも言うべきなのか。個人個人の周りにはその人なりの空気があるものだし、少人数ならその空気は、自分で作り出すことは出来るけれど、100人近くの人のいる空間を、満たすことはなかなか出来ることではない。次期コマバソームも頑張ってもらいましょう。どうやら、今年の彼のコメントは自分でこだわって考えて、「原点回帰」にしたそうだ。なかなか難しいけど。
パトリ陣は涙の嵐。
バイオリンパートのみの二次会は、バイオリンパート先輩方も例年の如く加わり、かなり陽気に始まった。乾杯では、立ち上がってから着席するまでにほぼ40分を費やした。つまりは、立ち上がって、乾杯をしてから各人話に花が咲いただけである。なかなか出来ることじゃないけれど、さすがに疲れた。
好意的な感想が多かったので少しホッとした。後で駒場生に本郷生から一つづつささやかなプレゼントが手渡されたのだが、その中のコメントも温かかった。
パトリプレゼントは、一部は事前に17に漏れ聞いていたのだが、全体として良かったと思う。
その後、さすがに睡眠不足がこたえて30分ほど転寝をしてしまった。後はいろいろ話をしたけれど肝心な内容はほとんど忘れてしまった。アンケートに目を通し、一つ嬉しかったのは、「運命の四楽章の最後に、団員の方も指揮者の方も笑顔になられたのが印象的でした。」とあったこと。それは、僕が感じたことでもあったし、僕自身が無意識に?(でも自覚はしてたと思うから、不思議な事だ)してしまったこと、でもあった。それが、見も知らない人に届いていたならば、そんな嬉しいことはない。細かい不備はいくらでもあるから、それは本当は取り立てて書くほどのことではなくて、いろんな意味でどう響いたのかを、少しでも汲み取りたいというのがこちらの気持ちである*1
その後、結局朝4時に店を出た。風が冷たい。もう11月の終わりだから、仕方ない。
2限に出るため、仮眠を取らせてもらいに比較的近いH弥君の家へ初めてお邪魔させてもらうことにした。本郷のおろしがあるため電車が動き次第、17は直接本郷へ向かう、去年やった*2とはいえ、ご苦労なことだ。
結局、タイマーを掛けていたものの起きたら13:00。お礼を言って5限に出るため学校へ歩いて行った。
学館は火の消えたように人影がまばらで、5限終了後、少し練習して、昨日の録音を聴いてから、家へ帰った。録音は、演奏場所のせいか金管がかなり強く聞こえていた。
さすがに疲れていたため、家に帰り着くとすぐに就寝。

*1:そこらへんがプロオケとの決定的な違いかもしれない。自己満足と云う批判もあるだろうから、勿論そのほかの声も参考にさせていただくのだが。

*2:本郷会議室で、暖房をがんがんに掛けて、長机をベッド代わりにして、16Vn男どもは就寝。朝起きると、ホールには累々たる”死体”が。