フレンチ・ウィンドウ展,ワシントンナショナルギャラリー展

先週の出張のついでに,新美術館にも寄り道してきた。ついでに森美術館にも行ってきた。
それぞれ毛色が違って面白い。森美術館はフレンチ・ウィンドウ展:デュシャン賞にみるフランス現代美術の最前線と題してやっていたが,現代美術は実験的でいい。デュシャンの「泉」はその当時の一石を投げ込んだわけだが,今のデュシャン賞受賞者たちの作品というのは,一言で言うと「作品自体の境界線が無い」のだ。それらの作品は結局,空間→雰囲気を創造しようとしている訳で,その空間内には当然観客も含まれるし,作品に影響を与えて変容させることができる,というもの。そういう意味では,絵のそばにあるような解説を読まない方がいいのかもしれない。
その作品を味わうためには,脳の奥で刺激を感じるというか,物体を脳の中で処理する過程をすっとばして,感覚的に空間を認知するというのが鑑賞者の中に必要な認識だろうと思う。そういった意味では,デュシャンの作品にはまだ作品の境界がはっきりと存在するし,一般的知性で処理するべき情報が多い気がする。「これは便器である」「これはモナリザである」という情報が。たしかに,全く感覚的過ぎても理解できる人間が逆に限られてしまうという逆の問題が出てきてしまうし,そういった意味では,100年くらい,美術はデュシャンのその段階からは進歩をしていない(限界があってできない)のかもしれない。
空間創造というのは,いろいろな手段が考えられるけれど,3D映像を使うというのは大きいのではないかな,と個人的に思う。観客は3Dメガネをかけて作品の中に入ってゆく。テレビ,映画のような映像投影ではなく,上から,下から,斜めからの映像の投影をして,新しい空間感覚を生みだすというのは,まだだれもやっていないし面白いのではないかと思う。
ワシントンナショナルギャラリー展に関しては,いつもの夏恒例の印象派展だなーという印象。もちろん有名な絵もあったのですが,今回僕の目を引いたのは,ウジェーヌ・ブーダンという画家だった。印象派の場合,色彩感に気を取られて,空気感の表現というところまで目がいかないのだが,この画家にはバルビゾン派に近い十分すぎるくらいの空気感,空間の表現が感じられて,本当に感心して見てしまった。そのバランスが共存しているのがすばらしかった。
と書いていたら,Wikipediaにそういう記述があった。あと,モネの先生なのですね。

ウジェーヌ・ブーダン(Eugène-Louis Boudin, 1824年7月12日 - 1898年8月8日)は、19世紀フランスの画家であり、外光派の一人として印象派に影響を与える。青空と白雲の表現に優れ、ボードレールやコローから、「空の王者」としての賛辞を受ける。
生涯
ノルマンディー地方のオンフルールで水夫の子として生まれる。1835年に父親が水夫の家業をやめ、一家をあげてルアーブルに転居する。ルアーブルの地で、父親は文具商として成功し、ここで、バルビゾン派に属するトロワイヨンやミレーらの土地の画家との交流が生まれた。
1859年に、後にボードレールブーダンを紹介することになるクールベと出会い、パリのサロンへのデビューを果たしている。
また、1857年にはモネと出会い、モネに屋外で絵を描くことを教える。1874年の印象派展にブーダンも出展している。
1870年代には、ベルギー・オランダと南フランスを旅し、1892年から1895年には、ヴェネツィアに滞在している。
パリのサロンへの出展を続け、1881年には第3位の賞を獲得し、1889年には金賞を授与された。1892年には、レジオン・ドヌール勲章を受け、ナイトの称号を得ている。
1898年にドーヴィルで亡くなった。

一枚だけ,その絵の絵ハガキを買いました。