芥川全集

ついに完読。岩波書店版。
ハードカバーで読んだので全12巻だったのだが、現在出ているものは岩波文庫版で全20巻であるらしい。旧字、旧仮名遣いにも最後のころには大分慣れた。
さすがに国語改革に反対した人だけのことはあるな…と思ったり。
国語改革に関してまとめてみると下のようになる。

明治時代には、『日本の近代化のためには、教育の普及が大切で、そのためには国語(日本語)をもっと普及しなければならないのに、漢字がその邪魔をしている』と考えた知識人も少なくはなかった。
明治5年に、文部卿・大木喬任は、田中義廉、大槻修二、小澤圭次郎、久保吉人の4人に命じて、漢字数3167字からなる『新撰字書』を編纂させ、漢字の制限を行なおうとしたそうだ。
同様に福沢諭吉も独自に“漢字制限”の必要性を認めていた。
さらに極端な話になると、近代郵便制度の創設に尽力した、あの1円切手の肖像にもなって有名な前島密岩倉具視・右大臣と大木喬任・文部大臣に提出した「學制御施行ニ先ダチ國字改良相成度卑見内申書」の中では、その当時の漢字・漢文偏重に対する不満として“漢字廃止論”を唱えていた。しかし、本当のところは「漢字自体に弊害があるのではなく、漢字をやたらと使いすぎることに問題がある。」ということだったようだ。
もっとすごいものになると、啓蒙思想家でオランダに留学後、開成所教授として「万国公法」の翻訳を大成した西周などは国語の文字をローマ字にしてしまおうと主張していたし、どの仲間でもあった森有礼に至っては、「国語英語化論」を主張し、国際結婚を奨励して、日本人の血の中に西洋の血を混ぜることこそ西洋化の道なんだと考えていたそうで…。
こうした主張が認められなかったのは、明治には森鴎外らが、大正には芥川龍之介らが大反対した(文部省に働きかけた)からで、文部省としても、彼ら大文豪家たちの意見を無視してまで政策を実行することはできなかったようだ。
また、同じようなことは第2次世界大戦後にも起こっており、志賀直哉は“日本語の複雑さが日本を孤立させた原因”と考え、“フランス語を公用語にしよう”と主張していた時期があったという。