夏合宿総括

僕が今回の合宿で目指そうとしたもの、演奏面のこともあるが、上学年としての役割と言う観点をもっとも重要視していた。今回の合宿では、僕は「敢えて何も言わない」という事に勤めた。確かに、もっとこうしたほうがいいとかアドバイスするのが正しいのかもしれない。実際もっと注意したらとも他の方からアドバイスを受けた。それはそれでいい、というか本来あるべき姿なのだろう。でも敢えてこうしたのには訳がいくつかある。
まず、自分の体験から。去年の僕は明らかにアドバイスの多さに混乱していた。それぞれの先輩のアドバイスは確かに正しいが、量が多いとどこから手をつければよいか分からなくなる。ある程度の完成度をもっているならこなし方も見当はつくし問題は無いが、最初のうちは逆効果のような気がする。
さらに、それぞれの性格的な面がある。注意の仕方で一番気を使うのがそこであるが、実際僕がそれぞれの性格をより正確に把握できているかどうか、確かめる必要があったからである。これからの注意の仕方とか、場とか、間とかを測っておかないと、こちらの意図していることが効果的に伝達されないことがあるというのは分かりきっている。これを測っておかないと、後で取り返しのつかないことになる。
実は下学年のみならず、上学年である僕たちにもその視点を向けねばならない。実際、人間は刻々と変化するものだから、一回出来てしまった関係であっても、時間とともに変化は生じる。盲点はそこに存在することが多いのだ。
あと、自分が上に挙げたような内容の、適切な見極めを行える状態であるのかどうかを確認する必要性が挙げられる。
以上のような事を考えた結果、受容に徹することにした。
注意が出来る内容なんてものは、一般的にOUTPUTできるものは、海上に突き出た氷山の一角のようなもので、その海中には、海上に出ている部分の10倍以上の体積の氷があるものなのである。