さあて

曲決めの後の飲みで、いろいろと全体の状況を捉えることができた。人間関係も複雑だねぇ…という感想。
互いの価値観をぶつけ合う、というのは確かに大切で、それによって得られるものも確かに大きいはずだが、それがあまりにも一義的過ぎると、それはそれで問題である。恐らく、個々の価値観がそれが一義的過ぎるにせよそうでないにせよ、今までそれなりに高く評価されてきた人たちの集まりなのだろう。ところがそれを裏返せば、それまでいた共同体に限ってのみ、評価されてきたものにすぎないとも言える。
これまでの共同体で成功してきたから、ある意味でそれを正しいと信じ込んでいるだけかもしれないのに、今の新しい共同体でも、その側面でしか物事を捉えられなくなって、安易に物事を語り合っているのだったら、それは単なるたちの悪い烏合の衆にすぎない。(1人1人の力が大きいためにより一層そうである。)
その一部は、敢えて計算された過剰な発言や行動であるとも僕には到底思われない。もし計算しているというならば、それは引き算か割り算かのどちらかであろう。
せっかくこの新しい共同体を形成し得たのに、あまりにももったいなさすぎる。
リーダーをやるなら、リーダー学、組織学というべきものでも(本屋に行ったらその手の本であふれかえっている)勉強して実際に生かしたらどうだ?グループの一員でありたいならどうして、責任を持った発言や(別に批判はかまわない、相互批判はいい緊張感も生むものだから)、意図を一貫させた行動を取らない?
厳しいようだが、ここまで挙げたようなバランス感覚を維持できているのは、せいぜい1割くらいかな。残りの9割には悪いが、そのうち気がつくのを待つより他はない。(それは先輩も後輩も関係ない)
さて、僕自身がそのバランス感覚を持ち合わせているかといえば、実際はなはだ怪しい。しかし、それを意識するようにしていることは確かだ。だから時には発言したことを後悔して眠れないことだってある。
ここで書いていることはいくらでも曲解できるだろう。でも、このうち2割くらいは真実を言い当てているのではないかと思う。