毒舌はかわいらしいもの

毒舌で、いつも損をしている。
テレビメディアの中で言う毒舌は、なんだかんだと多方面に配慮して、チップでかするくらいで済ましているのでいいのである。
明確な毒舌は、人を選ぶ。核心をつくほどに、それが心に泡立つ。
仕事などでダメ出しが必要な時があり、
「ダメ出しを本気でやって、本当にいいんですか?」と何度も確認したうえで対案を出しながら行うのだけれど、何だかんだと言って最終的に相手に逃げ道を1本用意しておかねばならないのが大変である。というのも、本気で理路整然とダメ出しをすると、相手としては相当怖い印象であるらしく、話が詰んでしまって、全体としてプラスにならないからだ。
内容上について実務的な観点から手加減するというのも、それはそれで相手に対して不誠実な気がするし、正直迷う。
ただし、「何かダメ」という根拠が不明瞭な(無責任な)指摘よりは*1、具体的に「ここがこういう印象を与えるからダメだと思うから、自分ならこう直す案がある。」と指摘するのは、議論・指摘をする前提となる姿勢として、そして更なる議論を生む姿勢としては、いいのではないかと思うのだが。
もっとも、指摘の内容が的確なのか否かは、また別の問題だとは思うのだが、そちらも核心を突きすぎると偏狭な人にはダメな場合もあり、配慮がいろいろと必要になる。
本当に、きちんと受け入れられる毒舌を言うのは難しい。
少しばかり話は変わるが、最近思うのは、毒舌はまだまだかわいらしいものだということだ。
交渉事では、相手がこちらにわざと負荷をかけてくる場合が往々にしてある。さらにはタチの悪い、洗脳的な手法や心理的な誘導まで用いてくる場合がある。そういう相手の場合、状況に応じて対応する。逃げるが勝ちという場合もあるし、余裕がある場合では3度までは牽制を入れながら笑って受け流す。
けれども、さすがに明らかに何度もそれを繰り返される場合、こちらとしてもある段階を境にして実力行使に出る。あんまり本当はフェアではないから、ここまでのことははしたくないのだけれど。
相手の手法・思考パターンに応じて、細かなフェイクをかけてこちらを誤認識させるか、逆に巧妙に相手の情報・感情処理の認識をオーバーフローさせて混乱させるようにするかのどちらかである。
これを利用しながら、表面上は相手に勝ったと思わせておいて、実は後で得を取るように、事実の布石を打っておくのが非常に大切なことなのである。

*1:「何かダメ」と感覚的にいう人で、すごく的確にものごとを見抜けている人もいるのだが、それは、感覚的に相当に鋭敏な場合がほとんどで、本人の思考プロセス上、他人には説明ができない方法を用いている場合がほとんどである。