北斎漫画

北斎漫画をついに買ってしまった。
面白いのは知っていて,文庫版は立ち読みをしていたのだが,やはり文庫版では大きさが小さかったのと,フルカラーではなかったので,ちゃんとしたものを購入する機会を狙っていた。

葛飾北斎 <初摺> 北斎漫画(全)

葛飾北斎 <初摺> 北斎漫画(全)

江戸から明治時代にかけ65年かかって,15巻にわたって発刊された北斎漫画を全て収録している本が,この本しかなかったので,高かったけれども買ってしまった。
それぞれの巻の序文も,なかなか凝っていて面白いのだが,変体がなや当て字を読めないと多分読むのはしんどいと思う。古文字解読の本を大学生協の書籍部で立ち読みしていたのが,ようやく今になって役立った。
(少し脱線するけれど,博物館に行ったときなどは,漢文の方が文字の崩しがないし,論理がきっちりしていてそのまま読みやすいと思う。和文は崩し方が人によってさまざまなので,読む文字の崩しのパターン,文章内容の論理組立のパターンを認識できれば読みやすいと思う。)
北斎漫画の序文は,蜀山人や宿屋飯盛などの狂歌師が書いている場合が多いのだが,さまざま崩し方も得意の洒落っ気があって好きである。
絵は,北斎の画力がすごくて,そのまま楽しめるものが多い。
いろんな描き方があって,後に「富岳三十六景」神奈川沖浪裏に生かされることになる,水などの題材を5種類にタッチを変えて描いているのはすごいと思った。また,構図をどのように設計しているのかも明かしている。完全な一点透視図法ではないけれど,例えるならば歌舞伎のような舞台装置の遠近法を用いて描いているのがよくわかった。
さらに,エドガー・ドガの絵みたいに,動いている人のモデルをさまざまな瞬間でとらえて描いているものは,見ていると中割りが入っていないアニメーションだと言ってもいいと思う。
絵の題材は,博物学的な興味(エトピリカとかヤシガニとかもある)や「○○シリーズ」など,時代時代によってさまざまある。見ていると,やはり古典や講談,三国志水滸伝漢詩水墨画のテーマ,日本の神仏,妖怪の知識がないと,楽しみが半減してしまう気がした。見ていると,「ああ,あの絵だ!」というのもあれば,「あれを北斎はこう描いたのか」と感心するものや,「同画面にこれとこれを描いて,(わかる人には意味がわかって)面白い」というものが多い。
序文の狂歌師の文章にも言える事なのだけれど,知っていないと楽しめない部分が相当たくさんある。
さてさて,北斎の非凡さは,例えば子どもやゴッホなどのマニアでない人が見ても,はたまた背景のわかるマニアな人が見ても,楽しめる幅の広さなのだろう。昨年2014年の東京デザイナーズウイーク「北斎漫画インスパイア展」で人気だった,ラーメンズの小林さんの「北斎漫画かるた」だけではもったいない。
見る人がどう受け取って切り取るか,様々な切り取り方を許す"鷹揚さ"が心地いい。

司会の入口

司会はどんな場や相手であれ,その場の参加者を飽きさせないこと。
事前にその場に参加して,「私はお義理で参加してるのよ」「時間の無駄」という表情を見ると,その退屈な時間を俄然面白くしてやろうと思う。
ファシリテーションの勉強を勝手に始めたのは,3年ほど前のことになる。
当然,仕事の場でも要求される内容で,最初は上手くできないし,失敗は数知れないのは当然だろうと思う。
ダメだしは労力がいるので,箸にも棒にもかからなければ,お座なりのコメントや何も言われない場合がほとんど。

自分自身は,もともと口下手で話が上手くない自覚があるので,才能のある上手い人が羨ましくてならない。

ただ,参加した会議で,自分が参加していて面白くないし,事前に参加者に雑談の中で僕が訊いていた意見が満足に言えていないのは勿体ないと思った。結果的に,会議で出る結論すら変わってしまうのではという恐ろしさも感じた。
自分なら別の運営方法でやるというイメージが,感覚として見えていた。
その感覚が正しいのか,いろいろヒントにしながら磨き上げるしかない,と思った。

たまたま一昨年に実際にプロのファシリテーターの青木さんに来ていただく機会があって,実際に見せてもらった。
http://www.aokiworks.net/
自分がやるなら,と考えながら本質を考える。青木さんの著書も読ませていただいた。
その後に本屋で10冊はファシリテーションの本を立ち読みすると,要点の本質が絞れてくる。
「テレビなんてくだらないから,NHK以外は見ない」「テレビは見なくて十分」という人もいるけれど,ファシリテーション・インタビューの視点で見ると,バライティ―番組や生番組,朝イチの金曜日,徹子の部屋,仁鶴さん,マツコさん,さんまさんの番組なんていうのは無料の教材で,すごく勉強になる。
また,実際に練習する場としては,仕事で構えた固定された相手だけに練習しても技量は上がらないので,飲み屋の店員さんとお客,理髪店の理容師さんとお客,暇そうなショップの店員さん,暇そうなキャッチのお兄さん・お姉さんは,いい練習の場でもある。同時に,話していると,視点がとても面白いことに気付いた。

そういう練習をしていると,全体を考えるようになる。
下準備のポイントや,事前の声のかけ方,話の回し方や,意見のきき方,コメントの返し方,切り返し方,時間の配分,突発的なアクシデントにも対応できるようになってゆく。
やっと最近,「司会・議長を頼んでよかった」と後でこっそりフィードバックを受ける確率が上がってきた。多分,ようやくスタートラインに立てた位なのだろうと思う。
練習台になってくれた人には,迷惑をかけたと思うと同時に,感謝をしている。
もう少し良くできるだろうと思いながらの,長い自分との戦いだろうと思う。

ローラはダメダメ

半年ほど前から,北新地のバーボンの専門バーで,色々勉強させていただいている。3年前に足を踏み入れ,以前に大学時代の友人も連れて行ったお店だ。
ドラマのおかげもあって巷ではウィスキーがブームらしいのだけれど,ウィスキーもバーボンも,肝心なのは銘柄の薀蓄ではなく鋭敏な感覚。やっぱり鼻に抜ける香りの複雑さと口からのどへの後味の残り方だろうと思う。
味の鋭敏な感覚をどうチューンして合わせたらいいのか,何をどうしたら味覚として美味しく感じるのか。
ストレートでは荒々しくてとても飲めないものが,ラフロイグ*1にすると途端に生きてきたり,ストレートでは素晴らしくても,他の飲み方ではつまらなくなったり。人間とよく似てとっても複雑かもしれない。
アメリカで飲むコーラと日本で飲むコーラとでは感じる味が違うように,湿度と温度も関係があるようで,マスターのその組み合わせの鋭敏な感覚,裏打ちする知識のすばらしさが,このお店は群を抜いていると思う。
少しずつ,色々やらなきゃいけなくなりそうです。

*1:1:1の水割りのこと。

トランプの手

トランプの手にはいろいろある。
向田邦子の「思い出トランプ」という13篇構成の本を最初に読んだのは,中3の頃だったか。
描写映像が目に浮かぶこともよくわかったのだが,その背後の構成力というところに,その当時の自分は感動した。
神経衰弱のトランプをパタパタパタッと一気に裏返すように,さまざまな伏線が一瞬にして表出し,映像として結実する鮮やかさ。その映像は,三島由紀夫の平面的できらびやかな描写とは違って,少しくぐもった奥行きがある。
久々に読み返してみると,時代設定や倫理観は正直古くなってしまったなと思うのだけれど,逆に今の時代にはこの奥行き感は新鮮なのかもしれない。
コンテンツをつくる立場としては,最近の演出であったり,表現・思考のパターンが,次第に単純で平面的な解釈に片寄りすぎているように思う。受け手にとってはわかりやすいけれど,実際はそうではないのに。
「正直このままではまずいぞ」という感覚がある。

思い出トランプ (新潮文庫)

思い出トランプ (新潮文庫)

数年ぶりに読み返してみると,「かわうそ」はすごい話。
結局,最初に配られた「自分の手札」で勝負するしかないのでしょう。

中学生にとっての宮澤賢治

9年前にも,宮澤賢治については自分の印象を短く書いている。
http://d.hatena.ne.jp/kimi-ok/20050419/1113926591
宮澤賢治作品が好きな中学生と話す機会があり,そこで1時間ばかりえらく盛り上がってしまった。
どこまで読んだのか聞いてみると,まだ童話のみで「春と修羅」は読んでいないという。
銀河鉄道の夜」に関して,内部の世界観の表現が好きだ,と言っていた。僕が銀河鉄道の第一稿,第二稿の修正部分の内容に銀河鉄道に賢治が込めたかったメッセージがあるのでは,という話を出したら,確かに,という話になった。こんな話ができる人に会うとは思っていなかったので,久々に感動した。
その日の夜,深夜にもう一度全部読み返してみた。
9年前の自分の書いた賢治の印象は,あまり変わっていないのだろうと思う。
その中で,「銀河鉄道の夜」を読む中では避けて通ることのできない賢治の死生観について,もう一度考え直してしまった。
賢治は「狼森・笊森・盗森」にあるような土俗アミニズム的な感覚,「グスコーブドリの伝記(原作の「ペンネンネン・ネネムの伝記」)」に見られる法華経の「衆生済度」「自己犠牲」の思想をもっていた,そして「銀河鉄道の夜」に見られるキリスト教の影響も見て取れる,
これらの作品の中で,私が賢治の死生観についてもっとも本質でわかりやすく説明できる作品は,「よだかの星」であると考える。
なぜなら,上に書いたようなさまざまな宗教観を結びつける概念は何かを考えたとき,頭の中で「命=元素(デモクリトスの元素)」という概念で包括できる印象を受けたからである。
よだかの星」の最後,よだかの命が尽きるときの文章に,こういう一節がある。

もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。
 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。

さて,ここで提示した視点で「銀河鉄道の夜」,「永訣の朝」などまで読み返してみると,「命=元素(デモクリトスの元素)」という概念で読み解くのが妥当なのではないか,と考えられるのですが,皆様の印象はいかがでしょうか。

本紹介の企画

11月は,どういうわけか本に関する依頼・人付き合いが多かった。
まず,一つ目は「自分の好きな本を紹介する」という企画が社内で回ってきたこと。
まず,本屋のポップと同様の紹介文をつける。
紹介文は以下のようなものにした。

子供の領分  
ドビュッシーピアノ曲に「子供の領分」という作品があります。
吉行淳之介は,テーマ・題材も大人向けの作品が多いですが,実はそのなかで自分の内面の感覚を研ぎ澄まして,外界をとらえようとする「子供=少年」の感性を持ち続けたことが,じっくり読むとよくわかります。
無駄なもの,足りないものの一切無い,錆びた海のの短編。
ハルキストさながら(笑),ミケランジェリのCDとともに,是非とも味わっていただきたい作品です。
(※本・CDもセットでどうぞ。)    

透明感あふれる文体が好きなので,吉行淳之介の「子供の領分」という作品を紹介することにした。

子供の領分 (集英社文庫)

子供の領分 (集英社文庫)

さて,これだけだと企画が面白くない,ということで,今まで誰もやってない試みとして,音楽とダブルミーニング的に両方を紹介することを考えた。作品も受け入れられやすいし,文章内容と,文体自体の方向性が似ているように感じたからである。
ドビュッシーの「子供の領分」の文体に合う演奏者は誰か,色彩の透明感を重んじるのだったら,やっぱりミケランジェリしかないと思って,CDとともに紹介することにした。
ドビュッシー:前奏曲集第1巻、子供の領分

ドビュッシー:前奏曲集第1巻、子供の領分


紹介のために2Dコードもつけておけばいいだろうと思って,本・CDのWebリンクもデザインして作成した。
さてさて,この組み合わせは非常にベタだと思うのですが,果たして理解していただけるのでしょうか。まだ反応がないので気になるところです。

関東の雨は主に平野に降る

今日の雨は涙雨。葬儀のために関東までゆけるはずもなく,気持ちの持って行きようがない気がして,少し長くなるが,ある先生の追悼文を書かせていただく。

先生が亡くなった,と聞いたのは,21日の昼だった。かなりのお年だったのだが,不思議と気が合った方でした。
友人からの知らせを自宅で見たとき,地方から上京してからの10年間が走馬灯のようによみがえってきたけれど,僕が今こうして仕事ができて,文章を書けているのは,先生のおかげだと思っている。

先生にバイオリンを習いに行きはじめたのは,オーケストラに入ってからしばらくしてからである。
当時は自己流が抜けきれず,初歩的なカイザーすらも満足に弾けなかった。地方から上京し一人暮らしを始めたばかりで,このままオーケストラでやってゆけるのか,本当に不安感しかなかった。
そうした不完全な状態のときに,上手く声を掛けてくれたのが先生でした。
弾けないなりに,工夫と観察を重ねて,3回目のレッスンに行ったときのこと,今日も上手く結果が出なかったと思って,しょんぼり帰ろうとしたときに,
「〇くん,その取り組み方は,一流のプロでもなかなかできない。もしもその取り組みを続けたら,数年後きっと君のイメージを音に乗せて伝えられるようになる。それは,いままでの君の取り組み方の財産だし,これからどの道に進んだとしても,君の大きな財産になるから,少しずつやってゆこう。」
と言ってくれた。そのときの本当にボロボロのレッスンの中で一体どこを見ていたのか,今となってもわからない。けれど,何故か見抜いてそうした言葉を上手くかけてくれていた。その言葉がなかったら,自分は途中でくじけて,つぶれていたかもしれない。
*1

そこから一歩一歩,本当に不器用で回り道も多かったのだけれど,耳を鍛えたり,技術中心の基礎が4年間続いた。お金を切り詰めて,練習は基礎錬中心に人の倍おこなって,毎週レッスンに行くようにしていた。
3年生になるころにはオーケストラにも何とかついてゆけるようになった。同時に理系で忙しくなって,金曜日の21時からの最後のレッスンと決めていた。
その日最後のレッスンが終わると,先生は決まって「コーヒーでも飲んでゆくかい」と声をかけてくる。コーヒーを飲みながら30分くらいお話をするのが,自分にとって非常に大きな糧となった。
世間話のほかに,音律の話,ミルシテイン,カザルス,カラヤンといった音楽家の直接のお話,バイオリンの楽器自体や調整の技術,奏法の差異,弓の技術,レコードなどの音源をかけてどこが課題なのかの洗い出し,そして指揮法について,リズムのとらえかたや身体操法について,本当に実地で教えてもらった。
本当に楽しかった。長いときは23時過ぎまで,一対一で飽きずにやったものだった。
楽譜や音源,曲に関連するイメージのための資料を貸していただいて,研究したこともあった。
大学院に行って,レッスンを2週間に1度のペースに落としても,それは続いていた。いつしか,レッスンの技術論での指示は,意識の持って行き方や集中力のコントロールなど,禅問答のようになっていた。このころになると技術以上に,頭の音のイメージ,解釈を褒められることが少しずつ多くなっていった。

それと同時に,教えるのに向いているという適性を発見してもらえたのも大きかった。
あるとき,「君は人にものを教えるのに,とても向いていると思うよ。観察眼とその先のイメージ力がすばらしい。ただ,ちょっとナーバスでせっかちになるときもあるから,『待つ』ことを大切になさい。」と言われた。
結局,それが今の職業につながっている。そして,何となくその経験の中から,「危なっかしくて」その当時の自分そっくりな人間を見ると,そのまま放っておけないのだと思う。

この10年のうちには,途中でいくつか大きなピンチもあったのだが,それを脱した折には,僕の話を聞いてから,
「話を聞いていると,君は本当に運がいい。周りに助けてもらっている分,きちんとあなたは自分のできることをしたらいいよ。」
と声を掛けてくれた。酸素マスクつけての指揮の後,病院のベッドで最後に話をしたときも,最後はその話だった。

そういう生き方を,自分はこれからもきっと続けるのだろう。
ありがとう。さようなら。

*1:後に,当時の様子を伺うと,「何となく危うさがあって,何かいいものがあると思った」と言ってくれたが,果たしてどうだっただろうか。